平成23年11月30日判決 平成23年(行ケ)第10018号 うっ血性心不全の治療へのカルバゾール化合物の利用事件
・請求認容
・第一三共株式会社 対 特許庁長官
・特許法29条2項、進歩性、顕著な効果、予測性
(経緯)
原告の第一三共株式会社は、発明の名称を「うっ血性心不全の治療へのカルバゾール化合物の利用」とする特許(第3546058号)の特許権者である。
本件の経緯は以下の通りである。本件は、訂正審判(訂正2010-390052号事件)に関し、特許庁がなした請求不成立審決に不服の原告が知財高裁に訴えを提起したものである。
平成 8年 2月 7日 出願
平成16年 4月16日 設定登録
平成19年 9月13日 無効審判請求
平成21年 3月 4日 無効審決
同年 4月13日 知財高裁に訴えを提起、さらに、訂正審判を請求
同年 6月 8日 審決の取消し決定
平成22年 3月29日 訂正認容、無効審決
同年 5月 6日 知財高裁に訴えを提起
平成22年 6月 2日 訂正審判(訂正2010-390052号事件)
同年12月15日 請求不成立の審決
(審決)
審決は、訂正発明1が,本願の優先日前に頒布された刊行物「Journal of the American College of Cardiology Vol.24.No.7 December 1994」における「特発性拡張型心筋症の患者における安静時血行動態変数及び運動時血行動態変数,運動負荷能力,及び臨床症状に対するカルベジロールの短期及び長期投与の効果」と題する学術論文(刊行物A)に記載された発明(刊行物A発明)及び本願優先日における技術常識に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであり、独立特許要件に違反するというものである。
(本件発明)
【請求項1】
利尿薬,アンギオテンシン変換酵素阻害剤および/またはジゴキシンでのバックグランド療法を受けている哺乳類における虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率をクラスⅡからⅣの症状において同様に実質的に減少させる薬剤であって,低用量カルベジロールのチャレンジ期間を置いて6ヶ月以上投与される薬剤の製造のための,単独でのまたは1もしくは複数の別の治療薬と組み合わせたβ-アドレナリン受容体アンタゴニストとα1-アドレナリン受容体アンタゴニストの両方である下記構造:
を有するカルベジロールの使用であって,前記治療薬がアンギオテンシン変換酵素阻害剤,利尿薬および強心配糖体から成る群より選ばれる,カルベジロールの使用。
(裁判所の判断)
本件においては、審決において顕著な作用効果を関するする誤りがあったか否かが争点となった。
すなわち、原告は、訂正発明1は,虚血性の心不全に対して,「全ての原因での死亡率が危険性を67%減少させた。」という従来技術から到底予想もつかない顕著な作用効果を奏するものである等と主張した。
この点について、訂正発明1には、カルベジロールを虚血性心不全患者に投与することにより、死亡率の危険性が67%減少する旨のデータが示されていた。
一方、刊行物Aには、カルベジロールは虚血性心不全である冠動脈疾患により引き起こされた心不全の患者の症状、運動耐容能、長期左心室機能を改善する点の示唆はあるものの、死亡率改善については記載がなかった。また、刊行物Aには、カルベジロールを特発性拡張型心筋症により引き起こされた非虚血性心不全患者に対し、少なくとも3か月投与したところ、左心室収縮機能等の改善が認められたことが記載されているが、死亡率の低下については記載がなかった。
さらに、他の公知文献においても、β遮断薬のほかACE阻害薬にも心不全に対する有用性が認められていたが、β遮断薬による虚血性心不全患者の死亡率の低下については、統計上有意の差は認められていなかった。また、本願優先日前に報告されていたACE阻害薬の投与による虚血性及び非虚血性を含めた心不全患者の死亡率の減少は16~27%にすぎず、また、虚血性心不全患者の死亡率の低下は19%にすぎなかった。
そのため、裁判所は、訂正発明1の前記効果、すなわち、カルベジロールを虚血性心不全患者に投与することにより死亡率の危険性を67%減少させる効果は、ACE阻害薬を投与した場合と対比しても、顕著な優位性を示していると認定した。
また、顕著な効果の予測性については、
①虚血性心不全は冠動脈疾患を原因とする心不全であるのに対し、非虚血性心不全は冠動脈疾患以外の原因で発生する心不全であり、その発生原因が異なるため、生存率も異なり(虚血性心不全の方が非虚血性心不全より生存率が悪い。)、薬剤投与の効果も異なるということが、本願優先日前の当業者の技術常識であったこと、
②CIBIS試験のサブ群分析によると、心筋梗塞症の既往のある症例では、プラセボ投与群とビソプロロール投与群との死亡率には有意差がなかったが、心筋梗塞症の既往のない症例では、プラセボ投与群の死亡率が22.5%であったのに対し、ビソプロロール投与群の死亡率が12%であり、心筋梗塞症の既往の有無による死亡率の差は有意である旨の示唆がなされていたこと、
③虚血性心不全患者にビソプロロールを投与しても、非虚血性心不全患者に投与した場合と同様の死亡率減少効果は期待できない旨の示唆がなされていたこと、
などが参酌され、ACE阻害薬の投与により虚血性及び非虚血性を含めた心不全患者の死亡率が16ないし27%減少したという報告がなされていたとしても、虚血性心不全患者に限った場合、同程度の死亡率減少効果が認められると予測し得るとはいえないと判断した。
一方、被告は、「訂正発明1に係る特許請求の範囲において、「死亡率の減少」という効果に係る臨界的意義と関連する構成が記載されておらず、訂正発明1は、薬剤の使用態様としては、この分野で従来行われてきた治療のための使用態様と差異がなく、カルベジロールをうっ血性心不全患者に対して「治療」のために投与することと明確には区別できないことから、死亡率の減少は単なる発見にすぎないことを理由に、訂正発明1が容易想到であるとした審決の判断に、違法はない」旨を主張した。
しかし、裁判所は、「特許法29条2項の容易想到性の有無の判断に当たって、特許請求の範囲に記載されていない限り、発明の作用、効果の顕著性等を考慮要素とすることが許されないものではない(この点は、例えば、遺伝子配列に係る発明の容易想到性の有無を判断するに当たって、特許請求の範囲には記載されず、発明の詳細な説明欄にのみ記載されている効果等を総合考慮することは、一般的に合理的な判断手法として許容されているところである。)。」と判示した。
さらに、「カルベジロールをうっ血性心不全患者に対して「治療」のために投与する例が従来から存在すること、及び「治療」目的と「死亡率減少」目的との間には、相互に共通する要素があり得ることは、・・・「『死亡率の減少』との効果が存在することのみによって、直ちに当該発明が容易想到でないとはいえない」という限りにおいては、合理的な反論になり得るといえよう。しかし、被告の論旨は、原告主張に係る取消事由4(「死亡率の減少が予測を超えた顕著性を有する」)に対しては、有効な反論と評価することはでき」ないと判示した。
(判決文) http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20111201105314.pdf
平成23年11月30日判決 平成23年(行ケ)第10018号 うっ血性心不全の治療へのカルバゾール化合物の利用事件
・請求認容
・第一三共株式会社 対 特許庁長官
・特許法29条2項、進歩性、顕著な効果、予測性
(経緯)
原告の第一三共株式会社は、発明の名称を「うっ血性心不全の治療へのカルバゾール化合物の利用」とする特許(第3546058号)の特許権者である。
本件の経緯は以下の通りである。本件は、訂正審判(訂正2010-390052号事件)に関し、特許庁がなした請求不成立審決に不服の原告が知財高裁に訴えを提起したものである。
平成 8年 2月 7日 出願
平成16年 4月16日 設定登録
平成19年 9月13日 無効審判請求
平成21年 3月 4日 無効審決
同年 4月13日 知財高裁に訴えを提起、さらに、訂正審判を請求
同年 6月 8日 審決の取消し決定
平成22年 3月29日 訂正認容、無効審決
同年 5月 6日 知財高裁に訴えを提起
平成22年 6月 2日 訂正審判(訂正2010-390052号事件)
同年12月15日 請求不成立の審決
(審決)
審決は、訂正発明1が,本願の優先日前に頒布された刊行物「Journal of the American College of Cardiology Vol.24.No.7 December 1994」における「特発性拡張型心筋症の患者における安静時血行動態変数及び運動時血行動態変数,運動負荷能力,及び臨床症状に対するカルベジロールの短期及び長期投与の効果」と題する学術論文(刊行物A)に記載された発明(刊行物A発明)及び本願優先日における技術常識に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであり、独立特許要件に違反するというものである。
(本件発明)
【請求項1】
利尿薬,アンギオテンシン変換酵素阻害剤および/またはジゴキシンでのバックグランド療法を受けている哺乳類における虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率をクラスⅡからⅣの症状において同様に実質的に減少させる薬剤であって,低用量カルベジロールのチャレンジ期間を置いて6ヶ月以上投与される薬剤の製造のための,単独でのまたは1もしくは複数の別の治療薬と組み合わせたβ-アドレナリン受容体アンタゴニストとα1-アドレナリン受容体アンタゴニストの両方である下記構造:
を有するカルベジロールの使用であって,前記治療薬がアンギオテンシン変換酵素阻害剤,利尿薬および強心配糖体から成る群より選ばれる,カルベジロールの使用。
(裁判所の判断)
本件においては、審決において顕著な作用効果を関するする誤りがあったか否かが争点となった。
すなわち、原告は、訂正発明1は,虚血性の心不全に対して,「全ての原因での死亡率が危険性を67%減少させた。」という従来技術から到底予想もつかない顕著な作用効果を奏するものである等と主張した。
この点について、訂正発明1には、カルベジロールを虚血性心不全患者に投与することにより、死亡率の危険性が67%減少する旨のデータが示されていた。
一方、刊行物Aには、カルベジロールは虚血性心不全である冠動脈疾患により引き起こされた心不全の患者の症状、運動耐容能、長期左心室機能を改善する点の示唆はあるものの、死亡率改善については記載がなかった。また、刊行物Aには、カルベジロールを特発性拡張型心筋症により引き起こされた非虚血性心不全患者に対し、少なくとも3か月投与したところ、左心室収縮機能等の改善が認められたことが記載されているが、死亡率の低下については記載がなかった。
さらに、他の公知文献においても、β遮断薬のほかACE阻害薬にも心不全に対する有用性が認められていたが、β遮断薬による虚血性心不全患者の死亡率の低下については、統計上有意の差は認められていなかった。また、本願優先日前に報告されていたACE阻害薬の投与による虚血性及び非虚血性を含めた心不全患者の死亡率の減少は16~27%にすぎず、また、虚血性心不全患者の死亡率の低下は19%にすぎなかった。
そのため、裁判所は、訂正発明1の前記効果、すなわち、カルベジロールを虚血性心不全患者に投与することにより死亡率の危険性を67%減少させる効果は、ACE阻害薬を投与した場合と対比しても、顕著な優位性を示していると認定した。
また、顕著な効果の予測性については、
①虚血性心不全は冠動脈疾患を原因とする心不全であるのに対し、非虚血性心不全は冠動脈疾患以外の原因で発生する心不全であり、その発生原因が異なるため、生存率も異なり(虚血性心不全の方が非虚血性心不全より生存率が悪い。)、薬剤投与の効果も異なるということが、本願優先日前の当業者の技術常識であったこと、
②CIBIS試験のサブ群分析によると、心筋梗塞症の既往のある症例では、プラセボ投与群とビソプロロール投与群との死亡率には有意差がなかったが、心筋梗塞症の既往のない症例では、プラセボ投与群の死亡率が22.5%であったのに対し、ビソプロロール投与群の死亡率が12%であり、心筋梗塞症の既往の有無による死亡率の差は有意である旨の示唆がなされていたこと、
③虚血性心不全患者にビソプロロールを投与しても、非虚血性心不全患者に投与した場合と同様の死亡率減少効果は期待できない旨の示唆がなされていたこと、
などが参酌され、ACE阻害薬の投与により虚血性及び非虚血性を含めた心不全患者の死亡率が16ないし27%減少したという報告がなされていたとしても、虚血性心不全患者に限った場合、同程度の死亡率減少効果が認められると予測し得るとはいえないと判断した。
一方、被告は、「訂正発明1に係る特許請求の範囲において、「死亡率の減少」という効果に係る臨界的意義と関連する構成が記載されておらず、訂正発明1は、薬剤の使用態様としては、この分野で従来行われてきた治療のための使用態様と差異がなく、カルベジロールをうっ血性心不全患者に対して「治療」のために投与することと明確には区別できないことから、死亡率の減少は単なる発見にすぎないことを理由に、訂正発明1が容易想到であるとした審決の判断に、違法はない」旨を主張した。
しかし、裁判所は、「特許法29条2項の容易想到性の有無の判断に当たって、特許請求の範囲に記載されていない限り、発明の作用、効果の顕著性等を考慮要素とすることが許されないものではない(この点は、例えば、遺伝子配列に係る発明の容易想到性の有無を判断するに当たって、特許請求の範囲には記載されず、発明の詳細な説明欄にのみ記載されている効果等を総合考慮することは、一般的に合理的な判断手法として許容されているところである。)。」と判示した。
さらに、「カルベジロールをうっ血性心不全患者に対して「治療」のために投与する例が従来から存在すること、及び「治療」目的と「死亡率減少」目的との間には、相互に共通する要素があり得ることは、・・・「『死亡率の減少』との効果が存在することのみによって、直ちに当該発明が容易想到でないとはいえない」という限りにおいては、合理的な反論になり得るといえよう。しかし、被告の論旨は、原告主張に係る取消事由4(「死亡率の減少が予測を超えた顕著性を有する」)に対しては、有効な反論と評価することはでき」ないと判示した。
(判決文) http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20111201105314.pdf