E

判例・実務情報

【知財高裁、特許】訴えの利益及び引用発明の適格性に関する知財高裁大合議判決(ピリミジン誘導体事件)



Date.2018年6月25日

知財高裁 平成30年4月13日判決、平成28年(行ケ)第10182号、第10184号

・請求棄却
・日本ケミファ株式会社、X 対 塩野義製薬株式会社、アストラゼネカ ユーケイ リミテッド
・29条1項3号、訴えの利益 刊行物に記載された発明 引用発明の適格性

(事案の概要)
 被告は,発明の名称「ピリミジン誘導体」に関する特許(特許第2648897号。以下、「本件特許」という。)の特許権者である。
 原告Xは、本件特許に対し特許無効審判を請求し(無効2015-800095号)、この無効審判において、アストラゼネカ ユーケイ リミテッド及び日本ケミファ株式会社がそれぞれ補助参加した。
 原告は、本件特許に対し、進歩性欠如及びサポート要件違反を無効理由とする主張を行ったが、特許庁は「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をした。本件は、この審決に不服の原告らが、その取消しを求めて知財高裁に訴えを提起したものである。

(本件特許)
 本件特許の請求項1は、下記の通りである。

【請求項1】(本件発明1)
式(I):
【化1】

(式中,
は低級アルキル;
はハロゲンにより置換されたフェニル;
は低級アルキル;
は水素またはヘミカルシウム塩を形成するカルシウムイオン;
Xはアルキルスルホニル基により置換されたイミノ基;
破線は2重結合の有無を,それぞれ表す。)
で示される化合物またはその閉環ラクトン体である化合物。

(争点)
 本件の争点は、以下の通りである。
 ・訴えの利益の有無
 ・進歩性の有無
 ・サポート要件違反

(裁判所の判断)
1.訴えの利益
 本件審判請求は平成27年3月31日に行われており、平成23年改正法が適用される。平成23年改正法において、123条2項は,「特許無効審判は,何人も請求することができる(以下略)」として,利害関係の存否にかかわらず,特許無効審判請求をすることができる旨を規定していた(なお,冒認や共同出願違反に関しては別個の定めが置かれている。)。

 本件において、被告は、無効審判の不成立審決に対する特許権の存続期間満了後の取消しの訴えについて,訴えの利益が認められるのは当該特許権の存在による審判請求人の法的不利益が具体的なものとして存在すると評価できる場合のみに限られるとの主張をした。

 この主張に対し知財高裁は、以下の通り、特許権の存続期間が満了したことを理由に、無効審判の不成立審決に対する取消しの訴えの利益が消滅するものではないことは明らかであると判示した。
 

「特許無効審判請求は,当該特許権の存続期間満了後も行うことができるのであるから(特許法123条3項),特許権の存続期間が満了したからといって,特許無効審判請求を行う利益,したがって,特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益が消滅するものではないことも明らかである。」

 その一方で、知財高裁は、例えば、特許権の存在によって不利益を受けるおそれがある者が全くいなくなったなどの特段の事情が存在する場合には、無効審判の不成立審決に対する取消しの訴えの利益も失われるとした。

「もっとも,特許権の存続期間が満了し,かつ,特許権の存続期間中にされた行為について,何人に対しても,損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり,刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情が存する場合,例えば,特許権の存続期間が満了してから既に20年が経過した場合等には,もはや当該特許権の存在によって不利益を受けるおそれがある者が全くいなくなったことになるから,特許を無効にすることは意味がないものというべきである。
 したがって,このような場合には,特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益も失われるものと解される。」

 その結果、知財高裁は、「平成26年法律第36号による改正前の特許法の下において,特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益は,特許権消滅後であっても,特許権の存続期間中にされた行為について,何人に対しても,損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり,刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情がない限り,失われることはない。」とした。

 そして、本件については上記のような特段の事情が認められないとして、原告の訴えの利益は失われていないと判断した。

 尚、現行法では、平成26年の法改正により、無効審判の請求人は「利害関係人」のみに限られるとされている。
 知財高裁は、現行法下においても、「訴えの利益が消滅したというためには,客観的に見て,原告に対し特許権侵害を問題にされる可能性が全くなくなったと認められることが必要であり,特許権の存続期間が満了し,かつ,特許権の存続期間中にされた行為について,原告に対し,損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり,刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情が存することが必要であると解すべきである。」と判示している。

2.進歩性の有無
 進歩性の判断で本願発明と対比される引用発明の適格性に関し、知財高裁は以下の通り判示した。

「・・・本願発明と対比すべき同条1項各号所定の発明(以下「主引用発明」といい,後記「副引用発明」と併せて「引用発明」という。)は,通常,本願発明と技術分野が関連し,当該技術分野における当業者が検討対象とする範囲内のものから選択されるところ,同条1項3号の「刊行物に記載された発明」については,当業者が,出願時の技術水準に基づいて本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する基礎となるべきものであるから,当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない。そして,当該刊行物に化合物が一般式の形式で記載され,当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には,当業者は,特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り,当該刊行物の記載から当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできない。

 したがって,引用発明として主張された発明が「刊行物に記載された発明」であって,当該刊行物に化合物が一般式の形式で記載され,当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には,特定の選択肢に係る技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り,当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできず,これを引用発明と認定することはできないと認めるのが相当である。

 また、このことは、主引用発明に限らず、副引用発明においても同様であると判示した。
ここで、本件無効審判の審決は、本件発明1が,本件出願(優先日)前に頒布された甲1発明(主引用発明)及び甲2発明並びに本件優先日当時の技術常識に基づいて本件出願(優先日)前に当業者が容易に発明をすることができたものということはできない、というものであった。

 主引用発明である甲1発明は、以下の通りである。
(M=Na)の化合物

 本願発明と甲1発明の相違点は以下の通りである。
(1-ⅰ)
 Xが,本件発明1では,アルキルスルホニル基により置換されたイミノ基であるのに対し,甲1発明では,メチル基により置換されたイミノ基である点
(1-ⅱ)
 R4が,本件発明1では,水素又はヘミカルシウム塩を形成するカルシウムイオンであるのに対し,甲1発明では,ナトリウム塩を形成するナトリウムイオンである点

 一方、副引用発明である甲2発明に関し、甲2には、甲2の一般式(I)で示される化合物のうちの「殊に好ましい化合物」のピリミジン環の2位の置換基R3の選択肢として「-NR4R5」が記載されるとともに、R4及びR5の選択肢として「メチル基」及び「アルキルスルホニル基」が記載されていた。

 しかし、知財高裁は、甲2において、R3の選択肢は極めて多数であり,その数が,少なくとも2000万通り以上あり、R3として「-NR4R5」であってR4及びR5を「メチル」及び「アルキルスルホニル」とすることは,2000万通り以上の選択肢のうちの一つになる等と指摘し、「甲2にアルキルスルホニル基が記載されているとしても,甲2の記載からは,当業者が,甲2の一般式(I)のR3として「-NR4R5」を積極的あるいは優先的に選択すべき事情を見いだすことはできず,「-NR4R5」を選択した上で,更にR4及びR5として「メチル」及び「アルキルスルホニル」を選択すべき事情を見いだすことは困難である。」と判断した。

 その結果、甲2から,ピリミジン環の2位の基を「-N(CH3)(SO2R’)」とするという技術的思想を抽出し得ると評価することはできないのであって,甲2には,相違点(1-ⅰ)に係る構成が記載されているとはいえず,甲1発明に甲2発明を組み合わせることにより,本件発明の相違点(1-ⅰ)に係る構成とすることはできない、と判断した。

3.サポート要件違反の有無
 知財高裁は、「本件明細書の発明の詳細な説明には,本件発明1の化合物が,コレステロールの生成を抑制する医薬品となり得る程度に優れたHMG-CoA還元酵素阻害活性を有すること,すなわち,本件発明の課題を解決できることを当業者が理解することができる程度に記載されているということができる」、などとして、サポート要件を満たすとの判断をした。

(コメント)
1.訴えの利益
 本判決の射程は、特許無効審判における不成立審決(すなわち、特許維持審決)に対する審決取消訴訟に限られると解される。
 平成26年の特許法改正において、特許無効審判の請求人適格は、「何人も」(但し、冒認出願違反、共同出願違反を除く。)から「利害関係人」に制限されている。
 そのため、訴えの利益の消滅は、平成26年改正前の特許法下においては、「何人」に対しても損害賠償請求等の可能性が全くなくなったと認められる特段の事情の有無が考慮され、平成26年改正後の特許法下においては、「原告」に対して当該特段の事情の有無が考慮されると判示しており、改正の前後で判断基準が異なっている。

2.進歩性の有無
 引用発明の認定に関し、本判決は、29条1項3号の「刊行物に記載された発明」といえるためには、当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならないとしている。この具体的な技術的思想の意味について、本判決は特に明らかにしていない。
 本判決では、具体的な技術的思想であることが、主引用発明の認定だけでなく副引用発明の認定においても必要であるとしているが、実務上は副引用発明が単なる技術的事項であるときも、これを主引用発明と組み合わせることで進歩性欠如の判断がなされることがある。また、引用発明の認定においては、それが未完成発明であるか否かもしばしば問題となる。従って、本判決にいう具体的な技術的思想がどのようなものを意味するのか整理する必要がある。

(参照元)
知財高裁HP “平成28年(行ケ)第10182号、平成28年(行ケ)第10184号 審決取消請求事件